◆愛とユーモアとロックスピリッツあふれる傑作エンターテインメント(85点)
ラブコメの名作「ラブ・アクチュアリー」(2003年)で大きな評価を得たリチャード・カーティス監督が、愛とユーモアとロックスピリッツあふれる傑作エンターテインメントを完成させた。
舞台は1966年のイギリス。ブリティッシュ・ロック全盛期にもかかわらず、政府は民放のラジオ局を認可していなかった。BBCラジオが流すのは、クラシックやジャズばかりで、ロックやポップスを流す時間は1日に45分だけ。ところが、国民の渇望に呼応するかのように、海上に浮かぶ船上ラジオ局「ラジオ・ロック」では、個性的なDJたちが24時間休まずにロックを流し続けていた!
権力やモラルやルールに対して、ひるもどころか喜んで中指を立てるようなDJたちが、同志(リスナー)のために、愛するロックを供給し続けるラジオ局「ラジオ・ロック」。かつて実際にあったというこの反体制的な活動を、シリアステイストではなく、ユーモアと愛に満ちた人間ドラマとして紡いだリチャード・カーティス監督の心意気にまずは敬意を表したい。
法の目をかいくぐって行われる「ラジオ・ロック」の放送活動は、ロックを愛する名物DJたちによって支えられている。ザ・キンクス、ジェフ・ベック、ザ・フー、ローリング・ストーンズ……ら人気ロッカー&ロックバンドの名曲を流す彼らは、ロッカーとリスナーをつなげる貴重な仲介者だ。かなり放蕩な船上生活も、彼らのロックとラジオ番組に対する愛情と誇りを感じた瞬間に、そのすべてが許せてしまう。少なくともここには、「給料が少ない」などと愚痴るような人間はひとりもいない。
60年代のUKロックの名ナンバーたちを引き連れて進む物語は、むさくるしくも個性的なDJたちの愛すべき群像劇でもある。ライバル心旺盛なDJたちは、その一方で、同じ「ラジオ・ロック」を支える物同士、強い仲間意識を持っている。誰かひとりがヘコむと、決して器用ではない仲間たちがさり気なく手を差し伸べる。むさくるしい男たちのLOVE&PEACE。悪くない。
もしも「カッコ悪いこと=カッコいい=ロック」という等式があるとするなら、個々の「恥」や「挫折」や「コンプレックス」を容赦なくユーモアに変換するこの映画の手法は正解だろう。たとえば、トム・スターリッジ扮する18歳のカールの"筆下ろし"にまつわるくだりや、クリス・オダウド扮するサイモンが真実の愛を追い求めて結婚するくだりには大いに笑わせてもらった。この映画に親しみを感じるのは、彼らDJ(船員)の滑稽さや不器用さが赤裸々に描かれているがゆえだ。
また、フィリップ・シーモア・ホフマン扮するザ・カウントと、リス・エヴァンス扮するギャヴィンという実力DJ同士がいがみ合うエピソードは、たかがプライドとプライドのぶつかり合いを、船上チキンレースにまで発展させる過剰演出で、観客をスリルいっぱいに楽しませる。おしなべてドラマの底は浅いが、その分、客席には熱っぽさと濃厚な笑いが運び届けられる。相当下品だけど、どこか憎めない会話劇も痛快だ。
ここで切り上げるべきではなかったか? と思わせるシーンのあとに続く約30分の展開を「蛇足」と取るか、「ご褒美」と取るかは、この映画に対する生理的な反応にもよるのかもしれない。少なくとも、私は後者の立場に立つ人間だ。なぜなら、徹頭徹尾バカバカしいことを真面目にやってのけてきたこの映画は、その真骨頂とも言えるウルトラスペクタルな大団円で、自身の最後を締めくくるという勝負に出たのだから。OK、それでこそROCKだ。蛇足だ冗長だというヤツには、中指を立てておけばいい。
すでに挙げた俳優以外にも、デブだけど妙に女モテするDJデイヴにニック・フロスト、「ラジオ・ロック」のオーナーにビル・ナイ、「ラジオ・ロック」を目の敵にする政府の大臣にケネス・ブラナーを起用するなど、魅力あふれる陣容でキャストを固めた本作「パイレーツ・ロック」。お馬鹿さに笑って、お馬鹿さに泣いて、お馬鹿さにホロリと心温まる、出色のロック・エンターテインメントである。
(山口拓朗)