◆爆発物処理班の兵士を通して戦争の真実と虚無感を描く秀作。スクリーンから片時も目が離せない。(85点)
2004年イラク・バグダッド。ジェームズ二等軍曹は、駐留米軍の爆発物処理班ブラボー中隊の新リーダーとして赴任する。爆弾処理の腕は一級だが、平気で規則を無視する向こう見ずな彼の行動に、仲間や部下は不安を抱くが…。
爆発物処理班の兵士の死亡率は、一般兵の5倍にもなるという。爆弾を発見すれば、過酷な暑さの中、重装備の防護服を身に付け、慎重に配線を切り信管を取り除いて爆発を解除する。そのプロセスは、見ているこちらまで緊張で身体がこわばってしまうほどだ。極限状態の中で冷静な判断を下す彼らの仕事は、常にチームで動き、互いをサポートすることで成り立っている。脚本家のマーク・ボールは、イラクで従軍記者として爆発物処理班と行動を共にした体験を基に、細部までリアリティに満ちた物語を練り上げた。戦場には、派手な銃撃戦だけでなく、爆発物処理という、ほとんど報道されない、地味だが最も危険な任務があることを、改めて教えられた。この映画の優れた点のひとつは、爆弾処理の知られざる実態を詳細に描き、広く認知させたことだろう。
ジェームズは、これまでに873個もの爆弾を処理したエキスパートだ。実績からの自信か、はたまた過剰な正義感か、無謀な行動でチームの和を乱す。それでも彼は、仲間のサンボーン軍曹や部下のエルドリッジ技術兵と対立しながらも冷静に任務をこなしていた。だがそんな彼も、身体に爆弾を埋め込まれた少年の死体には、我を忘れる。テロ組織への怒りと、いたいけな子供の遺体の中から爆発物を取り出して処理せねばならないおぞましさ。この少年は、もしやいつも基地のそばでサッカーをしていた顔馴染みの少年なのではないか。そんな思いからの憤りは、死と隣り合わせの任務を楽しんでいるかのようだったジェームズが、まだまっとうな人間である証拠で、安堵感を覚える。
だが、安全な場所にいる私たち観客は、非日常が日常と化してしまった戦争の真の恐ろしさをまだ知らない。限界を超える緊張がもたらす恍惚と、どんな小さなミスも許されない究極のミッションへの気概。ジェームズにとっては、それらを併せ持つ戦場だけが生を実感できる場所だ。「どうせ死ぬのなら気持ちよく死にたい」と、防護服を脱ぎ捨てて大量の起爆装置を解除する彼の行為は、勇気に見えて実際は狂気なのだ。戦争は、ドラッグのように兵士を魅了し、精神を蝕んでいく。全編を通して甘さや情緒を廃し、女性監督らしからぬ骨太な描写を貫いたキャスリン・ビグローの演出が素晴らしい。
過去の戦争映画の秀作は、戦争がもたらす悲劇をあらゆる視点から照射してきた。そのひとつ、ベトナム戦争を描いた怪作「地獄の黙示録」の中に「戦場では故郷を思い、故郷に戻ると戦場に恋焦がれる」というモノローグがある。本作の主人公ジェームズも、米国に戻っての平穏な日常の中では、表情はうつろだ。だがイラクに戻り再び1年間の任務についた彼の目は、獲物を追う野獣のように輝いている。ここにも戦争に魅入られ後戻りできなくなった人間がいる。自爆で死ぬ敵、姿が見えないテロリスト、誰からも歓迎されない土地で爆発物を処理する米兵。いったい何のための戦争なのかという疑問と虚無感が、爆風で舞い上がる砂塵のように広がっていく。“ハート・ロッカー”とはイラクの兵隊用語で、行きたくない場所、棺桶を意味するという。爆発の瞬間を恐れながらその重圧が快楽となった人間のヒロイズムとその代償を、ドライなタッチで描いた本作、紛れもない傑作だ。
(渡まち子)