◆素顔の日常とかりそめの虚像を使い分けるヒロインは、積極的に 「両方とも本当の自分」とその状況をエンジョイする。はちきれんばかりの躍動感と高揚感、16歳のフレッシュな感性をいまだ失っていなければ楽しめるに違いない。(50点)
素顔の日常とかりそめの虚像を使い分けるヒロイン。いつしかどちらが本来の姿が分からなくなるが、彼女はアイデンティティクライシスに悩んだりせず、積極的に「両方とも本当の自分」とその状況をエンジョイする。これが男なら苦悩の末に生きる道を見つけるストーリーに落ち着くが、米国の少女は己の欲望にあくまで前向きで貪欲に二つの人生を手に入れようとする。その過程で繰り広げられるドタバタ劇はあまりにもベタな設定だが、彼女がマイクを握るとノリノリのダンス&ミュージックにたちまち変貌。はちきれんばかりの躍動感と高揚感、16歳のフレッシュな感性をいまだ失っていない観客ならばきっと楽しめるに違いない。
ポップスター・ハンナの正体はマイリーというフツーの高校生、最近は芸能活動が忙しくなる余り家族や友人関係をおろそかにしがち。そんなマイリーを父は祖母が住むテネシーの田舎町に連れていく。そこでマイリーは幼なじみのトラヴィスと再会する。
脚光と羨望を浴びたいけれど私生活も犠牲にしたくない、一般的な年頃の少女なら大抵が抱く夢を映画は具象化する。ステージでは愛され、ショッピング三昧、リムジンやプライベートジェットでの移動など憧れのセレブライフ満載の一方で、恋や友情も満喫する。そこで語られているエピソードはバカバカしいからこそ、「少女の空想」としてのリアリティに満ちている。
しかし、市長との食事会とトラヴィスとのデートをダブルブッキングして、ハンナとマイリーを忙しく演じ分けるシーンでは、表裏の顔を持つのは結局双方の世界に属する人々に嘘をつくことにほかならず、悪気はなくても関係者を傷つけている事実を彼女は学ぶ。二重生活をあえて破綻させて、きちんと彼女の成長を促すディズニー流の予定調和的な結末は却って心地よかった。ただ、彼女を付け回す記者を「他人の不幸を食い物にする卑しい人物」のように描いているが、真実を暴こうとする姿勢のどこに問題があるのか。ジャーナリスト=世間の監視の目があるからスターといえども自らの行動を律しているはずなのに、このスタンスは職業差別もはなはだしい。
(福本次郎)