◆デニーロ主演、プロデューサーはつらいよ(55点)
スレンダーな黒髪ロングの美女とめくるめく夜をすごす濡れ場が映画の中であったとすれば、男の観客は相手の男を羨ましく、幸せな奴だと思うだろう(むろん、美女の修飾語句は各自の好みに読み替えていただいて結構だ)。
だが実際のところ、その男がノーテンキに幸せを感じているとは限らない。その美女は浮気者かもしれないし、そのセックスとて疲れている所を強要されているのかもしれない。つまり、見た目とは裏腹に、案外不幸というパターン。
『トラブル・イン・ハリウッド』は、まさにそんな映画。主人公であるプロデューサーは、この映画の中でほとんど何一ついい思いをすることが無い。これはそんな男の一週間を描いたドラマだ。
「世界の大物プロデューサー30」に選ばれるほどのベテラン、ベン(ロバート・デ・ニーロ)は、しかし2つの仕事上の悩みを抱えていた。ひとつはカンヌ出品作のラストを、自分勝手な不条理オチにすると譲らない頑固者の映画監督。もうひとつは、主演作品にまったく似合わないヒゲ面の役作りを改めようとしないわがままな大スター(ブルース・ウィリス)。映画会社の女社長との間で板ばさみになりながら、それぞれを説得する。胃の痛むような一週間が始まった。
時折つくられる、ハリウッドの内幕を描いた業界ドラマだ。ショーン・ペン、ブルース・ウィリスら人気俳優が本人役で出演していたり、プロデューサー役のロバート・デ・ニーロ自身が本作のプロデューサーを務めていたり(そして本国では大コケ)といったあたりが、映画ファンにとっての見所となる。
ここで描かれるプロデューサーの日常は、ワガママな業界人に囲まれているおかげで理不尽そのもの。スターにひげをそる事を説得できなければ億単位の損害がでるなどと、ひどいブラックジョークの連続である。でかいカネを動かして荒稼ぎしている職業なのに、やっていることは子守と変わらない。一方、主人公は私生活では離婚した妻やわがままな娘の行動に手を焼かされている。
ようするにこの男、ビジネスでもプライベートでも基本的に同じことをやっていて、同じ事で悩まされているのである。
ろくでもない相手のわがまま、すなわち自分の能力とは基本的に関係の無いところで悩まされるのは、この職業ならではの気の毒な側面といえるかもしれない。彼の評判は、そうした「アクの強い連中」たちの仕事ぶりいかんによって決まるのだから。立場が弱いはずの相手にも頭はあがらない。
こうした浮き沈みの激しい業界のルールの中で、決して野望に満ち溢れているわけでない主人公の姿が印象的。その日々は胃に穴が開くようなエピソードの連続で、冒頭に書いたとおり何かを楽しんでいるシーンがひとつもない。絶世の美女とのセックスの機会が訪れたのをみても、そう感じるのだから上手い演出だ。たしかにあれでは、たとえ相手の子が黒髪であったとしてもあまり楽しくはあるまい。むろん、美女の修飾語句は各自の(略)。
結局のところ、ハリウッド映画のプロデューサーは多大な権力をもってはいるが、決してかけがえのない存在ではない。彼が「自分の映画」という言い方をしたとき、主演俳優に即座に否定されるシーンはとても印象的だ。そのとおり、プロデューサーに代わりはいても、優れた監督や俳優にはいない。たとえ立場が弱くても、彼らは唯一無二の存在であり、自信たっぷりだ。この対照的な立場の者との絡みを描くことで、プロデューサーの悲哀がよりいっそう感じられる。
そうした人間ドラマとしてはなかなかだが、映画業界の雑学的なものがあまり見られないのは物足りないところ。業界ドラマのコンセプトからすれば、この点を不満に思う人は少なくあるまい。キャストの豪華さをみていると、余計にそう感じる。
(前田有一)