トイ・ストーリー3 - 山口拓朗

◆綿密にドラマを練り上げた脚本家には、最大級の賛辞を送りたい(95点)

 おもちゃにとびきり魅力的な個性を与え、彼らの日常(人間の目が行き届かない時間帯)をユーモアたっぷりに描くピクサー製作の「トイ・ストーリー」(第1作は1995年/第2作は1999年)。そんな人気アニメシリーズが11年ぶりに送り出した第3弾は、持ち主アンディとおもちゃ、双方向の「卒業」を描いた物語だ。

 大学に入学する17歳のアンディは、あと数日で自宅を出て寮に引っ越すことになっていた。アンディは、小さいころから大事にしてきたおもちゃを屋根裏部屋にしまおうとするが、勘違いをした母親が、おもちゃの入った袋をゴミ捨て場に出してしまう。ゴミ処理場行きは免れたものの、おもちゃは凶暴な園児が大勢いる託児所に寄付されてしまい……。

 おもちゃとアンディ。両者の相思相愛ぶりを知る私たち(観客)にとって、感情移入できる対象は、おもちゃかアンディのどちらか一方ではなく、その両方である。冒頭で「卒業」という言葉を使ったが、おもちゃが使命を果たし終えるという意味では「引退」でもあるし、大好きな人と別れるという意味では「失恋」でもある。「卒業」に「引退」に「失恋」。こうした分岐点を用意することで、映画は、人(モノ)にとって価値ある生き方とはどういうものかを考えさせる。

 本作を鑑賞して「モノを大事にしよう」というメッセージが心に響かない人はそうはいないだろう。がしかし、そのメッセージはどちらかというと表向きのものだ。作品の根底に流れているのは、私たち人間はすべてのモノに生命を吹き込む想像力を持っている、というメッセージではないだろうか。アンディのおもちゃへの「愛」の原点も「想像力」なら、おもちゃ同士の「絆」の原点も「想像力」にほかならない。

 「卒業」「引退」「失恋」のシナジー効果はてきめんで、号泣必至のエンディングはこちらの想像をはるかに超えるレベルであった。相思相愛にもかかわらず、お互いの未来のために価値ある別れを選択する彼ら(アンディ&おもちゃ)の生き方は、ほとんど「自利利他」の美学であり、私などは、単に寂しいという思いを通り越して、愛し愛される歓びの極致へと誘われた。人もモノも愛されたように育つ。それは一つの真実だろう。

 綿密にドラマを練り上げた脚本家には、最大級の賛辞を送りたい。「信頼」と「誤解」、「絆」と「裏切り」、「愛」と「嫉妬」、「希望」と「不安」、「歓び」と「寂しさ」――相対する要素を縦横に編み込んだドラマは、本流からいくつかに枝分かれした支流が、劇的な変化を見せながら再び本流に集約していく巧妙な展開。しかも、終盤には実写映画顔負けの脱出アクションまで用意する豪華サービス特典付きだ。表層的な「お涙ちょうだい」話ばかり書いている脚本家諸氏は、真に人の胸を打つ物語がどのようにして作られているのか、当代随一のストーリーテラーたるピクサーが放ったこの最高傑作で勉強するといいだろう。

 アンディがウッディらおもちゃに別れを告げるとき、ピクサーも、そして私たち観客も「トイ・ストーリー」という作品に別れを告げることになる。現実と虚構は表裏一体。あるいはピクサーが「トイ・ストーリー」という作品に、ウッディの姿を重ねあわせていたとしてもなんら不思議な話ではない。

 とことんエンターテインメントでありながらも、一つひとつのシーンには、ヘタな哲学書を凌駕するほどの示唆やメッセージがこめられている。この種の涙を流させてくれる作品はそうない。アメリカ産アニメ映画の金字塔といっても言い過ぎではないだろう。

山口拓朗

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