◆人の心のヒダをまさぐる西川美和の仕掛けと企み(70点)
無資格の医師や、密かに虐待行為を行っていた医療従事者のニュースが、時おり世間をにぎわせる。やや不謹慎ながらも面白いと思わずにいられないのは、そうした行為で逮捕される人々が、決まって患者たちから評判のいい「名医」であったり、「明るくて真面目な職員さん」であったりすることだ。偽物というのはすべからく本物以上に本物に見えなければならないものらしい。
前作『ゆれる』(06)で日本映画界を揺るがせた西川美和監督が、次なるテーマに選んだのは偽医者。この新作でも数多くの仕掛けや企みを盛りこみながら、いくつかの興味深い問題を提起してくれている。舞台は山あいの小さな村。都会から赴任してきた研修医の相馬(瑛太)は、村の医療を一手に引き受ける伊野医師(笑福亭鶴瓶)の献身的な働きぶりに感銘を受ける。だが伊野は程なく姿を消してしまい……。
相馬と会ったばかりの伊野が、「僕、免許ないのよ」とペロッと言うのは、西川監督の最初のくすぐり。実際には車の運転免許の話なのだが、振り返ればこれが全編を象徴するセリフになっている。そう、伊野はどこかで告白したいのだ。誰もが想像できることだが、医学の心得のない者が、にわか勉強を重ねながら他人の命を預かるのはきつい。それでも伊野が3年半、踏みとどまったのは、高額の報酬を捨てたくなかったからだけではなく、過疎の村から「偽医者ですら」いなくなってしまうから。西川監督はウソと真実、善意と悪意を隔てるか細い線の上で、決して演技が達者とは言えない鶴瓶を巧みに踊らせる。
魚心あれば水心。ナース(余貴美子)、薬品会社の営業マン(香川照之)、医師の確保に苦慮する村長(笹野高史)、家族に病状を隠したい老女(八千草薫)。みんなどこかで伊野を疑いながらも、それぞれの事情で真実を追究しようとしない。彼らから事情を聴取した刑事(松重豊)が、「誰も伊野の話をまともに聞いていない。伊野を本物に仕立てようとしていたのは、あんたらの方じゃないのか?」と喝破するのが印象的だ。
綿密な取材をしたという西川監督は、医学的な描写にも手を抜かない。とりわけ容態の急変した患者の胸に、伊野が(ナースの無言の指示を受けながら!)注射針を突き立てるシーンは迫真だ。いくつかのシーンでは印象的な小道具の使い方も。たとえば病院のエレベーターが、逃げ出しかけた伊野の目の前でピシャリと閉まるシーンは出色。それが階段なら、伊野はそのまま消えただろう。彼がいよいよ逃走するシーンでは、白衣が極めて象徴的な役割を果たすことになる。
相馬が僻地医療の理想を語るシーンが、この映画には2カ所ある。ほとんど同じ内容が、1度目はただのお題目として、2度目は魂のこもった決意として語られるのだ。伊野の正体を知って屈折してしまった感のある相馬が、これからどう成長していくのかが気になるところ。医師の偏在が大きな社会問題になりつつある中で、「相馬たち」をいかに育てていくかが日本には問われている。
(町田敦夫)