◆浅野いにおの漫画を映画化。宮崎あおいと高良健吾の主演で、夢と現実の間でもがく若者たちの青春をリアルに描く(75点)
劇場用長編を初めて演出する三木孝浩監督が描く若者たちの世界は、ある意味、生ぬるいと思う。まるで大学のサークルの延長のような、優しい人間関係。そこには社会の厳しさは感じられない。お互いに甘え合って生きているような印象なのだ。しかし、現実とは、そういうものではないだろうか。本作の生々しいほどのリアリティーは、三木監督の徹底的に若者サイドに寄り添った視点にあるような気がする。
主人公の芽衣子(宮崎あおい)はOL2年目だ。フリーターでバンドマンの種田(高良健吾)と都内のアパートで同棲している。仕事が嫌になった芽衣子は、ある日、会社を辞めてしまう。そして、バイトに明け暮れて音楽への夢を見失いかけている種田に、音楽に真剣に向き合うよう迫る。
本作には、音楽映画にありがちなヒーローやヒロインは一人も登場しない。種田のバンドのメンバーも、実家の薬局を継いでいたり、大学に留年していたり。夢に踏み込む勇気はないくせに、自分を「バンドマン」だと思っている。甘いといえば甘いが、誰もが夢にすべてを賭けられるわけではない。こんな人たちの方が普通だろう。
芽衣子にしたって、自分の夢を恋人に押しつけるのは、わがままだ。嫌な女の子なのだが、バンドの周辺にはこういう女性たちがいることも事実だ。誰もが物語の主人公になれるわけではない。多くの凡人たちは、他人に夢を託すしかないのだ。むしろ、本作の登場人物たちは生活を大事にするという点では、健全といえる。終戦後の破れかぶれの若者たちでも、政治の季節の若者たちでも、バブルに狂った若者たちでもない、不況の世の中で等身大に生きる若者たちが、ここにいる。
三木監督は、主人公を巡る人間模様をじっくりと描く。それは冗長とも思えるほどだ。芽衣子と種田がアパートで過ごす場面は、自然の逆光の中で撮影されている。どこまでも現実感を大事にしているのである。
芽衣子の言葉で、種田はアルバイトを辞め、音楽に専念する。「ソラニン」という曲を作り、レコード会社に送るが、なかなか相手にされない。そんなとき、バイクで事故に遭ってしまう。
芽衣子は種田の代わりにステージで「ソラニン」を歌おうと決心する。ここまで映画につきあっていると、すでに芽衣子やその仲間たちが、まるで自分の友だちのように思えてくる。だからこそ、ギターを手にステージで歌う宮崎あおいを、素直な気持ちで応援できるのである。宮崎あおいの歌は下手ではあるが、それもリアリティーだと納得できた。
(小梶勝男)