スティーブ・ジョブズ - 青森 学

ジョブズの内面に迫り切れていないのが残念。(点数 70点)


(C)2013 The Jobs Film,LLC.

この映画はジョブズのエピソードの断片で継ぎはぎされたパッチワークのようなものだ。
彼と彼を取り巻く創業者メンバーについて描かれている点が伝記では見られないポイントだった。
ヴォズニアックのジョーク好きであることが描かれているが『アップルを創った怪物』(ダイヤモンド社刊)と併せて読むと彼のユニークな人柄が見えてくる。

アシュトン・カッチャーの演技が凝っていてジョブズが 前屈みに歩く姿勢や得意なると眉を上げる表情など相当彼に似せる努力をしている。
だが、それがいかにも表層だけしか追っていないことを証明しているようだった 。

もっとも不満だったのが、Appleを一躍世界にその名を知らしめた革命的機能としてGUI(Graphical User Interface) の搭載があったのだが、これはジョブズがゼロックスの パロアルト研究所を見学した際に開発中だったGUIを真似したのは有名な話しで、映画ではそのエピソードが紹介されておらずそれがいかにもジョブズがそれを考案したかのようなミスリードが有る点だった。

のちにGUIの二番煎じであるWindowsのデモを見て激昂したジョブズがビル・ゲイツに抗議の電話をするシーンは彼の自己中心的な性格を表すものあって映画のようにビジョナリーとそのエピゴーネンの対立という構図は誤解を招く。
ウォルター・アイザックソンが書いたジョブズの伝記(『スティーブ・ジョブズ』講談社刊)では後日談があってジョブズに呼びつけられたゲイツは口角泡を飛ばして叱責するジョブズに向かって「ゼロックスというお金持ちからテレビを盗みに入ったらあなたが盗んだ後だった。
むしろそういう話しではないのか?」と、しれっと返した経緯がある。
このエピソードを挿入すればジョブズのイメージはずいぶんと違ったものになるはず。ビル・ゲイツを泥棒呼ばわり出来ないはずなのだ。

我が娘の認知を頑なに拒む一方で娘の名前が付けられたプロジェクトに執着するジョブズの二面性にもっと切り込むべきだったが淡々と事実を語るだけで妙なところで客観性を守っている。

ジョブズの人物像に迫るならば彼がAppleから追放されてからのピクサー/NeXT時代を描かなければならないのに、それをしないでAppleの権力闘争に重点が置かれてしまっている。
この作品はジョブズの伝記映画というよりもAppleの社史という趣きのほうが強い。
それも修正主義者によって改編されたAppleに都合の良い歴史である。

ピクサー時代に彼の手掛けた『トイ・ストーリー』でウッディに託した彼の想いや人生観を描かずになにがジョブズを描いていると云えるのだろうか。
養父を尊敬し彼がエンジニアだったことからジョブズのモノ作りへのこだわりに大きな影響を与えたのは、映画の中でジョブズが要職を解任されて実家に帰る時に養父の作業場で埋め尽くされる部品で解るのだが、じゅうぶんに描いているとは言い難い。

ジョブズの晩年も描くべきだった。晩年こそ彼の栄光と孤独が顕著に表れた時期だったのだ。
また彼のモノ作りに大きな影響を与えたはずである彼が傾倒していた禅の精神についてまったく触れられていない。
シンプルさを至上とする禅の精神が何故iPodに倍速再生機能が付いていないのかの疑問にも答えるはずで彼の親日家ぶりはジョブズの内面を知るうえでも欠かせないエピソードだったのだ。ジョブズと日本人の禅師との交友は盛り込むべきエピソードだった。

そしてiPodの開発では日本のメーカーで、デッドストックになっていたハードディスクの技術を音楽プレイヤーに転用することをジョブズの部下が思いついたところも省略されている。
そのアイディアは会議にかけられ、ジョブズの強力な後押しがあったからこそiPodは世に送り出されたのだ。
ジョブズはビジョナリーであるだけでなく目はしの利く男でもあったことを忘れてはならない。

はみ出し者が未来を変えるという映画では使用感のあるありがちでチープな話型にジョブズのパーソナリティを押し込めてしまっている。
それはジョブズが外づらで見せたかったものであって決して彼の内面ではない。

伝記では文章では表現しづらかったジョブズを取り巻く環境がビジュアル化されているので臨場感があるのはもちろんのことなのだが、ジョブズの人物像に迫るにはウォルター・アイザックソンが書いたジョブズの伝記も併せて読むことをつよくお勧めしたい。
映画と本が相互に補完しあって立体的なジョブズの人物像が像を結ぶはずである。

青森 学

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