ジョン・カーター - 青森 学

ディズニーの抱く理想が主人公の反骨精神に重ねられているように思う。(点数 85点)


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火星人自らが住む星を『バルスーム』と呼ぶ火星にひとり迷い込んだ地球人のジョン・カーター(テイラー・キッチュ)が火星人間の対立に巻き込まれ種族を超えた民の力を糾合して真の邪悪な存在と戦っていく姿を描く。

そして地球では憑かれたように金鉱掘りに明け暮れるのだが、それでひと財産築いたのち突如として病死、謎めいた日記を唯一信頼出来る甥に残して扉が内側からしか開かない不思議な霊廟に葬られる。その謎はラストで明かされるが、ストーリーの多くはカーターが、宇宙の支配者と謂われるサーン族の傀儡になったゾンダガ王国の王子の野望を打ち砕くべく重力の弱い火星で驚異的な身体能力を発揮して奇想に満ちた冒険に身を投じる。

先ず思ったのが、ディズニーのヒロイズムと思想がよく出ていそうな映画だったことだ。
南北戦争で妻子を失ったカーターが権力の手先になることを頑なに拒否し、憎悪すら抱いていることが短いカットで説明される。
戦うことを忌避し厭世的になっているカーターが再び大義の為に剣を取る姿が勇ましい。そこに至るまでの心の変遷が結構丁寧に描かれていたように思った。この主人公の造形なのだが、弱きものへの同情と強きものを挫く反骨精神が今までのディズニー作品で仄かに感じられたのが、それがこの作品においては強く主張されている。

この映画をいっそう深いものにしているのは火星人を影で操るサーンというオーバーロード。
あらゆる人物に変身可能で時に4本の手を持つ爬虫類のようなサーク族に変身することもあれば、赤色人の老婆に変身することも出来る。誰にでも成り代わることが出来るということは誰ででも無いとまた言い換えることが出来る。いわばサーンは思念だけがその存在を証明する実体の無い生命体なのだ。これはサーンの造形はまさに人類が抱える猜疑心と悪意の象徴といえるだろう。

冒頭にスティーブ・ジョブズに捧げる献辞があるがピクサーと協力して映画を創ってきたディズニーとしてはもっともな対応。監督であるアンドリュー・スタントンはピクサーで『ファインディング・ニモ』、『ウォーリー』を撮ったキャリアがあるが今回のが実写初作品である。
本国アメリカでは興行不振というニュースが入るなかで観た『ジョン・カーター』だったが不安に反して予想以上に面白かった。アメリカの批評を拾い読みしてみるとストーリーが退屈という感想とマッチョなのがどうも、というのがあったのだが、人間そっくりの赤色人のコスチュームがローマ時代の衣装そのもの。ローマ時代を題材にした映画は良作も多いけれど、マッチョでスペクタキュラーだが中味の薄いマイナスイメージもある。私にはローマ時代を舞台にした映画で気になるのは『クレオパトラ』やびっくりものの知る人ぞ知る『カリギュラ』なんかを想像してしまうのだが、マッチョなものに脊髄反射するアメリカ人も多いのかも知れない。

それと、MARSであるが、火星が軍神の意味なのにローマ神話そのままの火星人では意味がかぶり過ぎて意外性が無い。固定観念を揺るがすような異星人の文化を描き損なったのがアメリカ人を落胆させた理由なのかもしれない。だが日本人の私にはローマ風のスペクタキュラーにアレルギーは無いので別段気にならない。むしろディズニーの思想を色濃く反映する本作はウォルト・ディズニー生誕110周年映画にふさわしいと思えた。

最後にこの映画のオチはなかなか秀逸だった。ある程度結末は想像していたが良い意味で裏切られた。

青森 学

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