わすれてはならないのは戦争の記憶だけでなく、そのなかでも生まれた信頼や友情という想い出である(点数 95点)
(C)JAME
色丹島に住む『銀河鉄道の夜』の登場人物にちなんだ名前を持つ兄弟、純平と寛太の四季折々の中で育む成長譚。やがてソ連軍の侵攻によって二人の運命が大きくゆらいでいく。
「北方領土は我が国固有の領土」とは言うが当事者でもない限り「故郷」とは呼べない。領土は国家に帰属するが故郷を結びつけるのは人だからである。領土ではない故郷がこの映画の舞台である。
ソ連軍に島が占領された後、ロシア人の入植が始まるのだが、ひとつの校舎をロシア人の子供の教室と日本人の教室で分けて使うことになって、ロシア人の教室では音楽の授業が始まりロシア民謡を歌っているのだが、そのうち日本人の教室でも子供たちが漏れ聞こえる音楽に合わせてロシア民謡を歌い始める。その後ロシア人の教室からも「赤とんぼ」の歌声が聞こえてくるのである。
戦火の中にあっても人のふれあい・交流は残る。その灯火を絶やしてはならない。
ロシア人将校の娘との淡い恋や色丹島の季節が叙情的に描かれており郷愁が胸いっぱいに満たされる映像は白眉。
色丹島での生活は基本的に春・夏・秋を描き主人公が樺太の収容所に送られていく場面は冬になって転調するこまやかな演出があり、四季を効果的に使い分けている。
日ソ不可侵条約を破ってソビエトが侵攻してきたとかそんな日本側の主張はおくびにも出さない。只、ソ連軍が進駐してきたことを淡々と描写するのみである。それは戦争とは政治の力学が働く場であって、正邪は問われないのが現実だからだ。唯、色丹島の人たちの生活が犠牲になることで戦争そのものの現実を見る者に突きつける。
四島返還とか二島返還とかの議論は結局そこに住む人達の気持ちは蔑ろにされている。
北方領土の返還を求める為政者の政治的メッセージは無い。国やイデオロギーを越えても成り立つ Relationshipがあることをこの映画は伝えている。
事実を基にしたストーリーとあるが、作品自体のクオリティが高いので取り立てて何が事実で何がそうでなかったかを逐一検証する必要は無いように思う。現実に起こった出来事の大意が大まかに伝わればそれでいい。
ソ連軍の進駐を単なる侵略者として一面的に描くのではなく、ロシア人将校一家との交流を描き、抑圧する立場であったソ連の人々の様々な面を描いていることに好感が持てた。
世界は思った以上に狭い。国家的にも、個人としても。そのような時代において”共存”という生き方が 70年近くも前に既に提示されていたのである。現代社会に生きる今だからこそ人間の在り方を見つめ直すこの作品は評価されて然るべきだろう。
(青森 学)