シルビアのいる街で - 前田有一

◆好きな女性を思うと何も手につかない男性にすすめたい(60点)

 仕事すら手につかない状態になるほど、誰かを好きになる人がいる。

 本当は好きな人のことを思うだけで生活にハリがでて元気が出る、なんて「白い恋」が理想かもしれない。だが、思えば思うほど活動意欲を失い、前に進めなくなる「黒い恋」もそう悪いものではない。そのくらい誰かを思える恋を一度くらいしなければ人生は味気ない。人を愛するのも一種の才能。自分の中にそれほどの恋愛意欲があったことを、まずは肯定してやるべきであろう。

 そうした情熱的、猪突猛進的な恋心が抑えられなくなると、相手の事をとにかく知りたくてたまらなくなる。知らない事すなわち不安。こうなると、いわゆるストーカーとの違いがあまりなくなってくる。恋人ストーカー状態である。

 「シルビアのいる街で」の主人公も、そうした「黒い恋」にはまりこんだ一人。この、きわめて実験的な異色ムービーは、彼が愛する女性を求める数日間の様子をひたすら観察するだけの映画である。

 映画が始まると、ベッド上で座り込むこの男(グザヴィエ・ラフィット)の姿が映っている。最初は静止映像かと思わせるが、やがてまばたきをすることから動画であることがわかる。4分間近く、ひたすら無セリフのこの映像が流れる。見ていると、のっけから不安になる。これはもう、尋常ではない映画だなと観客に知れる。

 やがて本作のメイン会場、フランスの町のどこにでもありそうなカフェテラスに彼は移動。日がな一日、そこに座り込んで行きかう人々を眺めている。そしてカメラはまたその様子を、なんの説明もすることなく、ただ写し続けている。

 信じがたいことではあるが、基本的にこの映画はたったこれだけの内容である。

 なんとつまらない実験映画だろうと思っただろうか?

 否。これが案外面白いのである。何の説明もない分、観客は男の挙動を細かく観察することになるが、するといろいろな事がわかってくる。どうやら男は「ある女」を探しているらしいこと。その女に狂おしいほどの恋をしていること。そしてなぜかその女のことを、あまり知らないらしいこと、などである。

 好きな女を知らない、というのも妙な話だ。もっとも、愛した女性が意外な職業だったり、想定外の生活をしていたり、といった事で驚かされるケースは、まれにあるかもしれない。清純そうな黒髪ロングの女の子がベッドで豹変、という嬉しいパターンなら歓迎だが、これは私の勝手な妄想であり、映画の批評とはまったく関係がない。

 話は戻って主人公の場合、どうやら愛する女性の外見すら、はっきり覚えていないようなのだ。これは明らかに異常である。いったいなぜそんな事になっているのか。その「女性」とは誰なのか、どんな関係なのか。その謎だけで観客を引っ張っていく。

 動きの少ないストーリーだから、映像表現にさまざまな工夫を凝らしている。

 たとえば、ひとつのシークエンスをひたすら長く追いかける点は真っ先に目に付く。2分や3分、同じ路地裏を撮り続けるなんてのは朝飯前。中には30分間以上ひたすら続く場面もある。主たる被写体が去ってもカメラを止めず、余韻を残したりといったトリッキーな演出も多用する。雑踏の真ん中にいるような、相当力を入れたに違いないサウンドデザインも見所だ。

 舞台となるフランスの古都ストラスブールの美しい風景と、老若男女問わず街中で愛し合うカップルの姿、さまざまなタイプの美女たちを、主人公の視線でひたすらカメラは撮り続ける。ステディカムで町並み楽しむムービーかよと突っ込みたくもなるが、ちゃんとオチはつく。

 後半になると、それこそ向かいのホームから路地裏の窓など、探しまくるにもほどがある山崎まさよしの歌の世界。アジア系から金髪美女まで「愛する君の姿」を町の中で探し続ける男のドラマも佳境に入る。記憶が不確かな女を捜す男の物語は、いったいどんな結末を迎えるのか。

 ストーカー的ともいうべき行動にはまりこみ、すっかり「黒い恋」に侵されている哀れな主人公氏だが、見た目がとんでもないイケメンなので不快感はない。ただしイケメンに限る、を地でいくストーリー。これがもし、みるからに女性にもてないタイプの主人公であったなら、きっとまったく違ったジャンルの映画が一本出来上がっていたことだろう。

前田有一

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