◆感覚はどこまで正しいのか、何が正常で何が異常なのか、主人公が事件の真相を追う過程で、閉ざされた島、消えた患者、謎の灯台、巨大な陰謀といったさまざまな要素が混沌と秩序のメタファーとなり、主観の本質に迫っていく。(60点)
しっかりと地に足を付けきちんと観察しているはずなのに、どこか現実が歪んでいく。回りの人間が抱く秘密と嘘に、逆に監視されているような気分になっていく。そんな主人公が覚える違和感を、身にまとわりつくようなねっとりとしたカメラワークで再現する。感覚はどこまで正しいのか、何が正常で何が狂ってのか、彼が事件の真相を追う過程で、閉ざされた島、消えた患者、謎の灯台、巨大な陰謀、といったさまざまな要素が混沌と秩序のメタファーとなって、人間の主観の本質に迫っていく。
絶海の孤島に設けられた精神障害重大犯収容所で女性患者が脱獄、連邦保安官テディは助手のチャックと共に島に渡る。捜査を進めるうちにテディはこの島で行われている非人間的な実験に気づく。しかし、テディもやがて白昼夢に悩まされていく。
細部にわたるリアルな描写と、壮大かつ理にかなった妄想。統合失調症は決して知性の欠如や崩壊なのではなく、小さなことも忘れない記憶力とある意味筋の通ったホラ話を作る想像力であるとこの作品は教えてくれる。患者のイメージは、経験を元に作り上げた患者自身の脳内現象に過ぎないのだが、本人はいたってまじめに事実だと思い込んでいる。物語はテディ本人の精神異常を早々と予感させ、テディのアイデンティティ探しに興味を移していく。
要するにここで描かれたエピソードはテディの本来の姿である放火殺人犯の幻覚の映像化で、そのあまりにもありきたりなオチは、「スコセッシなら何か新しいアプローチを見せてくれるのでは」という予想を見事に裏切ってくれる。むしろそこから感じ取れるのは、罪の意識にさいなまれているこの放火犯が、自分自身の別人格に託した“己を罰してほしい”という願望にほかならない。そう考えるとテディが危険を顧みずに嵐の中に飛び出したり断崖を下りたりした行動も納得できる。「怪物として生きるよりも、いい人間として死ぬ」ことを、わずかに残った彼の良心が訴えていたのだ。
(福本次郎)