◆驚愕のラストに向けた伏線を見逃すな!(70点)
いやあ、たまげた。本作の最後に明かされる「ある事実」には心底、驚嘆した。本当はサプライズがあることすら知らずに劇場に行った方が衝撃度は増すのだけれど、「なになに? どんなビックリがあるの?」とワクワクしながら公開を持つのも、それはそれで楽しいだろう。だから言っちゃう。あなたは本作のエンディングに必ずや目を丸くするだろう。そして劇中にちりばめられた数多くの伏線を思い起こし、それを再確認するためにもう1度観たくなるだろう。観るがいい。それだけの価値はある。
舞台は戦争で文明が崩壊し、無法状態のまま30年が経過した世界。ウォーカー(歩く者)と呼ばれる主人公(デンゼル・ワシントン)は、世界にたった1冊だけ残った「ある本」を携え、西へと歩き続けている。一方、同じ本を血眼で探すギャングのカーネギー(ゲイリー・オールドマン)は、ウォーカーがそれを持っていることを知り、力ずくで奪い取ろうとするのだが……。
灼熱の砂漠、崩れた高架道路、爆撃の跡と思われるクレーター。監督のヒューズ兄弟は、色味を落とした画面の中に、強烈な終末感の漂う世界を現出させた。食うために人を殺す無法者がいる一方で、シャンプーやウェットティッシュが珍重されるゆがんだ物々交換経済がシニカルだ。製作も兼ねたワシントンは、牛刀やショットガンで敵をズバズバなぎ倒すウォーカーをクールに熱演。極限状況でのアクションやサバイバルをスタイリッシュに切り取ったドン・バージェスのカメラにもシビれる。
ウォーカーとは何者なのか、なぜ西に向かうのかといったいくつもの謎を提示しながらストーリーは進んでいくのだが、その最たるものは彼が運ぶ本の中身だろう。実のところ、ウォーカーやカーネギーがしばしばそらんじるその一節を聞けば、欧米の観客は即座にその本のタイトルを理解する。しかし平均的な日本人にとっては必ずしもなじみの深い本ではないと思うので、ここで多少のヒントを出しておくのがこの国で映画ライターをする者の務めかもしれない。ウォーカーが運ぶ本とは、そう、人類史上一番読まれていると言われる「あの本」だ。え、『1Q84』? 違いますがな。
現在これだけ普及している本が、なぜ世界に1冊しかなくなってしまったのかは、最終戦争が起こった理由とも密接に関わってくる。そして9.11テロ以降の現実世界の情勢とも。「その本が戦争の原因とも言われた。戦後、人々は率先してその本を処分した」と語るのはウォーカーだ。「死の陰の谷を歩むとも」という有名な一節を暗唱するウォーカーに、ヒロインのソラーラ(ミラ・クニス)が「それ、あなたが作ったの?」と真顔で尋ねるのは、だから気の利いたギャグであると同時に、人類の精神文化が30年の間にどれほど変容してしまったのかを端的に示すエピソードでもある。ウォーカーがそれに対して「そうだ」と答えるのは、こちらは正真正銘のジョークだけれど。
「絶望した者にあの本の言葉を説けば自在に操れる」というカーネギーのセリフも、オウム真理教やイスラム原理主義者の事件を容易に連想させ、嫌でも宗教の功罪を考えさせずにはおかない。もちろんカーネギーのセリフに託された毒は、一義的にはキリスト教に向けられている。キリスト教国である米国出身の作り手たちが、このB級(2級ではない)エンターテインメントに、どこまで真剣に宗教批判を盛りこもうとしたのかはうかがい知れないが、結果的にはなかなか挑戦的な問題提起がなされていると言えそうだ。
ちなみに本作の原題『THE BOOK OF ELI』は、中学生でも「イーライの本」と訳すだろうし、実際その解釈で誤りはない(イーライが誰であるかは、本作に秘められた謎のひとつだが)。だが、ある程度キリスト教についての知識を持つ者なら、エンディングを迎えたとき、タイトルに込められた二重の意味に気づいて、はたと膝を打つだろう。ここで生半可な解説を書くのは避けるが、興味を持たれた方はぜひ調べてみてください。
(町田敦夫)