◆巧妙に張り巡らされた罠とカメラの目。権力によってスケープゴートにされ、あてもなく逃げ回る主人公。誰を信じればいいのか、追い詰められた男は己の無実を疑わない友人知人たちへの「信頼」だけを武器に、街中を奔走する。(60点)
巧妙に張り巡らされた罠とカメラの目。警察組織とさらにその上に君臨する権力によってスケープゴートに仕立て上げられた主人公が、あてもなく逃げ回る。ゴールは見えず、あきらめたときはすなわち死。誰を信じればいいのか、誰が裏切り者なのか、追い詰められた男は己の無実を疑わない友人知人たちへの「信頼」だけを武器に、街中を奔走する。情報管理の名のもとに政府が行う国民の監視に対して日頃から反発を覚えている一般市民が、できる範囲で彼に手を差し伸べて少しでも不快感を表明しようとする。彼に力を貸すのは、ひいては民主主義を守ることにつながるとみな感づいているのだ。
パレード中の首相がラジコンヘリ爆弾で暗殺され、友人と現場近くにいた青柳は犯人として警官に追われる。仙台市内をさまよううちに、次々とねつ造された証拠が公表されるが、かつて彼と交際していた晴子は密かに逃走を支援しようとする。
青柳自身はアイドルを助けて話題になったプチ有名人という以外にはごく平凡な日常を送っている。そんな彼に、替え玉まで用意され周到に準備された国家の陰謀に立ち向かう術はなく、ひたすら生きるために走り回る。そこで浮かび上がってくるのは彼の人生。少し物足りないけどいい人で、決して他人の命を奪ったりするはずはないという印象を友人たちは皆一様に持っている。青柳にテロリストのイメージを植え付けようとする警察に対し、彼を直接知っている人々が抱く善人のイメージが彼を救う。それは、もうお仕着せの世論作りには騙されないという一般大衆の抗議の声なのだ。
ただ、キルオという通り魔や下水道を伝って逃げろというその筋のジイサンなど、小説ならば「伊坂幸太郎ワールド」を彩る登場人物として想像力を掻き立てるのだが、実体を与えるとどうも陳腐になってしまう。彼らと青柳の関わりが原作では絶妙のスパイスになっていたが、映画では謎めいた男というに留まっていたのが残念だった。
(福本次郎)