◆荒んだ人生を送る老シンガーをアメリカの原風景が優しく包み込む。名優ブリッジスが渋い。(70点)
バッド・ブレイクはかつて一世を風靡したカントリー・シンガー。才能はあるが、今の彼は、酒びたりで新曲も書けず、かろうじて小さなステージを務めている。ある時、地方紙の女性記者ジーンと出会い、愛し合うようになるが…。
破滅型の男のプライドとわびしさ。愛する女の信頼を裏切る弱さ。傷だらけの再生。ストーリーは月並みである。だが、しみじみとしたカントリー・ミュージックの歌詞に主人公の人生が重なり、映画はいつしか豊かに熟成していく。さらにジェフ・ブリッジスの自然体の演技のおかげで、物語はまるでコーヒーにミルクが溶け込むように、心にじんわりと染みてくる。ブリッジスは本作で念願のオスカーを手にしたが、彼の実力を考えたら遅すぎるくらいだ。
57歳のカントリー歌手・バッドの生活は、アメリカ南西部をドサ周りするハードなものだ。かつての栄光にすがりはしないが、自分で車を運転し、さびれたボーリング場や場末の店でステージを務めるのは楽なことではない。ジーンズのベルトはいつもだらしなくはずしていて、でっぷりと太った腹は、年齢だけでなく、止められない酒のせいでもある。結婚は何度も失敗し、今は名前も知らない女たちとの情事を繰り返す日々だ。かつての弟子であるトミーは今や人気絶頂。自分が情けないが、歌に関してはバッドにも意地があった。
そんなバッドを救えるのは、本当に彼を愛してくれる女のぬくもりだけ。親子ほど年の離れたシングルマザーのジーンと本気で愛し合うが、彼女自身も離婚の痛手からまだ立ち直ってはいない。それでも、ジーンに何か特別なものを感じたバッドは、彼女の幼い息子バディとも親しくなる。今度こそまっとうな人生を送ろう。ジーンとならそれが出来る。ブリッジスの、渋いのにどこかお茶目な雰囲気のおかげで、観客は、だらしないだけの人間だと思っていたバッドの中に、愛情を求めてやまない、孤独な男の誠実さを見るだろう。
だが、主人公が懸命に良い方向へ変わろうとするとき、物語はもう一度問い直すのだ。本当にジーンを、何より自分を幸福にできるのか?と。バディの前では決して飲まないと誓ったのに、つい酒に手を出したバッド。この弱さが愛する女性の信頼を失うことになる。「信じた私がバカだったわ」。恋人と息子との選択を迫られれば、彼女は母親であることを選ぶ女性だ。本当はバッドを愛したいのにそうできないのがつらい。別れを決心した時のマギー・ギレンホールの演技はブリッジスに劣らず名演だ。ジーンの女心がやるせない。
バッドの親友で、彼の浮き沈みを見つめてきたバーのマスター役のロバート・デュバルは、かつて「テンダー・マーシー」で同じようにカントリー歌手の悲哀を演じてみせた。カントリー・ミュージックとは原初的に人の心を癒す歌なのだろう。心が張り裂けるほど傷ついたバッドに残されたのは、音楽だった。大スターのトミーの懇願に応え、ついに最高傑作である新曲を提供する。愛と挫折の両方を知ったものだけが生み出せるメロディが、ステージから聞こえてくる。クレイジー・ハート(荒ぶる魂)の物語のラストが穏やかな幸福感に満ちているのは、傷ついてもなお、音楽と共にある主人公の再生に感動するからだ。映画の余韻の中に、アメリカの大地と青空を見た気がする。
(渡まち子)