怒号が飛び交い、ニュース速報に聞き入り、記者が走り回り、電話がひっきりなしに鳴る。空前の大事件が地元で起きたときの地方新聞社編集部のあわただしさがリアルに再現される。しかし、この「お祭り騒ぎ」の先に何があるのか。(50点)
怒号が飛び交い、ニュース速報に聞き入り、記者が走り回り、電話がひっきりなしに鳴る。空前の大惨事が目と鼻の先で起きたときの地方新聞社編集部のあわただしさがリアルに再現される。アドレナリン濃度が上がり、誰もが疲れや眠気を忘れて駆けずり回る。その一方で興奮の輪から離れたところから醒めた視線で見つめる古参たち。さらには広告部や販売部との確執や軋轢。映画はジャンボ機墜落事故の全権デスクを任された記者を中心に、関わった人々のさまざまな感情を描く。しかし、この「お祭り騒ぎ」の先に何があったのか。事故原因を最初につかんでいたのは地元紙だったと言いたかったのだろうか。所詮は全国紙や共同通信・NHKなどには太刀打ちできない主人公の徒労感・無力感だけは伝わってきたが。
日航機が墜落との速報に色めき立つ北関東新聞編集局。中堅記者の悠木は陣頭指揮に当たるが、局長クラスの幹部が足を引っ張り、苦労して現場にたどり着いた若手記者のレポートを落としたことから部下からも突き上げられる。
世の中がまだアナログだった時代の、仕事にかける男女の熱い思いがスクリーンに焼き付けられる。無線を持っていない記者が電話を探して民家を一軒一軒当たるシーンなど、原稿や写真を現場からパソコンでメール送信する現代の記者とは隔世の感だ。抵抗勢力のように見える広告部や販売部も業務への熱意は記者に負けていない。だが「連赤・大久保」を鼻にかける旧世代を過去の遺物のように見る作品中の現役記者たちの意識同様、21世紀のジャーナリストから見れば年寄りの自慢話にしか見えないのが難点だ。
結局、明らかな悠木の判断ミスで朝毎読大手の前に敗北を喫した北関は、犠牲者の遺書で茶を濁す。要するに地方紙にはこのクラスの大事件を受け止められる人材はいないということなのだ。優秀な人間は活躍の舞台と高給を求めて飛び出し、残った者はワンマン社長にへつらう。そういった、どんな業種にも当てはまる中小企業の悲哀はものすごく共感できるのだが、年老いた悠木個人の感傷にリンクさせるところが鼻に付いた。
(福本次郎)