暗殺者の棲む非情な世界を克明に描きながらも、愛する者のためにそれに身を投じる男の決意が哀しくもうつくしい。(点数 86点)
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時代は1980年代。凄腕の殺し屋ダニー(ジェイソン・ステイサム)はオマーンの有力者に拉致されていたかつての仲間であるハンター(ロバート・デ・ニーロ)を救い出すために現地へ飛ぶが、有力者である長老からは彼の3人の息子をSAS(イギリス陸軍特殊部隊)に殺された復讐の代行を迫られる。それも事故死に見せ掛けて殺すのが条件。報酬は600万ドル。ダニーはカネのためにではなくハンターの解放を条件に仕事を請け負うが、ターゲットの背後で暗躍する『フェザー・メン』という組織に所属する刺客のスパイク(クライヴ・オーウェン)が彼の行く手を阻む。
スパイ物の範疇に入ると思うが、『スパイ大作戦』のような華麗さは微塵も無く、イギリス陸軍特殊部隊の精鋭だったフリーのエージェントが暗躍する闇の世界がリアリティを持って描かれている。
ハンターがナイフを持った暗殺者と格闘する時にジャケットを脱いでそれを腕に巻くシーンはリアリティがあった。また、ダニーがオマーンの有力者の屋敷へ潜入する際に目が暗順応するのを待って直ぐに部屋に入ることを避けたりと細かいところでのプロフェッショナルらしい挙動がリアリズムを生んでいる。
ダニーはフリーのエージェントとして様々な暗殺事件に関与するも、ある事件で目撃者である10歳の少年を殺すことが出来なかったことから、殺し屋としての自分の限界を感じ闇の世界から手を退く。作品の中で伏流するのは、殺人を仕事にして身を立てているものの、それに疑問を感じ、出来ることなら早く足を洗いたいと願っているダニーの抱える矛盾がストーリーに厚みをもたらしている。また、ダニーの師匠であるハンターも身の丈に合わない大仕事を引き受けるのもそれは家族のためだったりするので、身過ぎ世過ぎとは云うもののどんな仕事であれそれを請け負う理由には、守らなくてはならないものが誰にでも必ず有ったりするものなのだ。
映画ではオマーンの有力者が書いた殺害リストに入っていた3人の元SASを暗殺するところまではその殺害の手口が興味深かったものの、それほどストーリー展開に意外性は感じなかったが、ミッションを完了してからのその後がダニーと彼の恋人に迫る魔手が緊迫感をもって描写されるので一層目が離せなくなった。
たぶんこの作品で共感を集めるとするなら、世間の表舞台には決して現れることのないエージェントたちの緊張感みなぎる男の世界ということだろうか。意図的なのかもしれないが、ダニーとその恋人が過ごす平穏な世界はまったくの別世界として描かれ、ダニーやその仲間が生きる仕事場には徹底的に女性を排除している。後半で彼の闇の世界と彼女の日常がニアミスするのだが、直接の対決は巧みに回避されている。交わりそうでそうならない二つの世界は闇の世界がミソジニー(女性嫌悪)の雰囲気すら漂う男の世界だからだ。闇の世界でも一応、コールガールやターゲットのガールフレンドは登場するけれども、いずれも男性に隷属する属性としての女性であって、男の面目を潰すカラミティ・ジェーンのような女丈夫はいない。時代設定が1980年代なので現代とは異なるのかも知れないが、あくまでも殺し屋稼業の世界は男の独擅場なのである。
このような張り詰めた男の世界が結構リアリティをもって描かれている映画は最近では少なかったような気がする。男臭い世界を描く一方で、フェミニンなエピソードも有るのだけれど、”戦う男性に、守られる女性”という構図は男性からの視点で語られるフェミニズムが男性の心をくすぐられるのだろう。
潜在的に”白馬の騎士に守れたい”という願望を持つ女性には受け入れられるストーリーだと思うが、ウーマンリブを地で行くような快活な才女には柳眉を逆立てる内容なのかもしれない。只、カップルで観に行って鑑賞後に喫茶店に寄ればこの話題で花が咲くこと請け合いだろう。男らしく、実にナイツ(Knights)な映画なのである。
(青森 学)