面白くて飽きないが、それだけ(60点)
スリラーやサスペンスでは、脚本が映画そのものの出来を大きく左右することについては異論のないところだろう。ベテラン脚本家のラリー・コーエンの場合、このサイトでもオススメした『フォーンブース』(02年)、『セルラー』(04年)と、近年その分野で変わらぬアイデアマンぶりを発揮しており、その最新作である本作にかかる期待もおのずと大きいものになる。
トップモデルのジェニファー(エリシャ・カスバート)は、見覚えのない部屋で目覚める。彼女は何者かに拉致、監禁されてしまったのだ。必死に脱出を試みるが部屋は密室で、しかも犯人がどこかから監視しているらしい。八方ふさがりの状況下、ジェニファーは剥がれ落ちた壁の塗料の先に、意外なものを発見する。
謎だらけの冒頭から、見るものをひきつけて離さない。美人でスタイル抜群のヒロインが味わう恐怖と、必死に抵抗する姿に観客は思い切り感情移入し、その行方を固唾を飲んで見守る体験型スリラーだ。
ヒロイン(と私たち)の行動を読みきり、その一歩も二歩も先を行く犯人像など、あきらかに『SAW』を意識したと思わせる。この手のワンシチュエーションものが好きな人にはたまらないだろう。息つく間もなく次々と意外な方向に物語は転がり、テンポのよさと面白さについては申し分ない。
が、結局はそれだけの話である。ワクワクドキドキ思い切り盛り上げておきながら最後は「え、それだけ?」ってな具合。いうなれば、ディズニーランドのシンデレラ城でミステリーツアーに入ったら、最後の最後、魔王の部屋は工事中なので今日はここで終わりですと言われたようなものだ。いかに途中が楽しくても、これでは十分な満足は得られない。
その原因は、真相に論理性が欠如しているという一点につきる。犯人の目的からすれば、そもそも途中であんな大掛かりな罠を張る必要がない。そのための様々な小道具や仕掛けを作るのにどれだけの苦労と資金をかけたかと思うと、犯人に同情すらしてしまう。
ヒロインの行動にも、ハテナマークがつく部分が多い。そういう場面でそんな事はしないだろ、と観客に思わせたらこの手の映画は終わりだが、本作にはそれがいくつかある。そういう致命的な空気の読めなさが、こちらをしらけさせる。ローランド・ジョフィ監督は『キリング・フィールド』(84年)など、アカデミー賞やカンヌ映画祭でも高く評価されている名匠だが、このジャンルについての経験不足が露見した格好だ。
とはいえ私がこれを見たのは今年の5月であり、そのとき関係者からは、グロシーンの追加を中心とした再編集を行う予定と聞いた。今回指摘した弱点が、最終的な公開版では直っているとよいのだが。
いずれにせよ本作は、ラリー・コーエンらしいドキワク感、先が気になる面白さはあるものの、それ以上がなかった。『24 -TWENTY FOUR-』のジャック・バウアーの娘役で人気のエリシャ・カスバートは、ソフトなヌードまで披露する熱演だったが、これでは『SAW』の劣化コピーといわれても仕方がない。
(前田有一)