キャタピラー - 福本次郎

◆手足だけでなく人間としての誇りまで奪われた男は、己の運命を呪い人生を憎む。旺盛な食欲と性欲が、死にきれなかった彼の希望なき未来を象徴する。映画は、傷痍軍人とその世話をする妻の姿を通じ、人間のエゴの正体に迫る。(70点)

ネタバレ注意! この批評は結末に触れています。

 手足だけでなく誇りまで戦場で奪われてしまった男は、己の運命を呪い人生を憎む。食事も排せつも一人ではできず、その苛立ちは介護する妻に向けられ、まるで何かに復讐しているかのように彼女に辛く当たる。そんな主人公の、帝国軍人として潔く散れなかった後悔よりも、芋虫のようになってでも生きようとする “生”への執念がすさまじい。旺盛な食欲と疲れを知らぬ性欲が、死ぬべき時に死ねなかった彼の希望なき未来を象徴する。物語は、軍神と祭り上げられた傷痍軍人と妻の姿を通じ、人間のエゴの正体に迫る。

 1940年、中国戦線で重傷を負った久蔵は四肢切断、右頭部に大やけどを負った体で妻・シゲ子の待つ家に帰ってくる。シゲ子は献身的に久蔵の世話に明け暮れるが、いつしか心の中に黒いしみが広がっていく。

 声が出ない久蔵は、自らの意思を伝えるために鉛筆を口にくわえてノートに文字を記す。「やりたい」の言葉に込められた久蔵の性への渇望。性とは生であることを強烈に印象付けるシーンだ。やがてシゲ子と久蔵の力関係が逆転し、シゲ子の暴力にさらされる久蔵はレイプした挙句殺した中国人女性の記憶に苛まれる。弱い立場になって初めて知る恐怖と絶望、久蔵は強姦魔の自分に耐えられなくなり不能になる。もはや穀つぶしでしかないと自覚し、戦争の加害者でもあり被害者でもある久蔵の苦悩を、シゲ子とのヒリヒリするようなやり取りの中で浮かび上がらせる脚本と演出の仕掛けがスリリングだ。

 勲章と武勲を称える新聞記事とともに床の間に飾られた天皇皇后の御真影がたびたびクローズアップされる。その写真の前で久蔵とシゲ子は幾度も交わる。映画は終盤、空襲や原爆の犠牲者、戦場での死者、処刑された戦犯の人数が示される。それは、軍人は軍人なりに民間人は民間人なりに戦争の痛手に耐えてきたのに、戦後40年以上にわたってそれらを超越した場所に居続けた昭和天皇に対する、若松監督流のメッセージなのだろう。「あなたに戦争責任はなかったのか」という。。。

福本次郎

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