ウェスタンとSFの融合がストーリーに躍動感を与えている(点数 75点)
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荒野でひとり目覚めた男は左腕に見慣れない腕輪を嵌めていることに気付く。
それは石で叩いても外れることはまったく無く、男の意思とは無関係に付きまとう影のように身体化されていた。
開拓時代のアメリカのとある町に突如襲来するエイリアン。
アナログの時代に生きる登場人物がオーバーテクノロジーを持つエイリアンに黒色火薬で弾丸を発射するピストルで戦いを挑むさまは、その差の開きを見ればまさに徒手空拳で戦っているような無力感が漂う。
しかし、男の腕輪はエイリアンに 対抗する強力な武器となるのだが、基本線は豆鉄砲のような軽い印象のする銃火器でエイリアンの圧倒的な武力を前にしても我が子のため、妻のために 主人公たちは行動する。
彼らの不屈の闘志に感銘を受けた。
この映画は絶望的な戦いを挑もうとも諦めない心、逃げない心の強さを観る者に訴えかけている。
ストーリーの中では人間に殺戮の感情しか持たないエイリアンに対して入植者と反目しあうネイティブアメリカンとが手を結び共闘していくさまは現代人の植民地政策の反省と願望がうかがえて興味深い。
人間の命になんら敬意を払うことなく、人間を検体に人体実験を繰り返すエイリアンは憎悪と恐怖の対象ではあるが、そういう非道な振る舞いをするのは異質なものという話型には、子供に聞かせるおとぎ話にはうってつけかもしれない。
だが、現実にはこの異星人は人間の心の闇を投影したものであって、彼らは歴史の中で人間の姿をまとって何度も登場しているのである。
白人とネイティ ブアメリカンとの和解が結局のところその憎しみを他者に転嫁することでしか成立しないところに多くの映画がジレンマを抱えている。
人間は憎しみの 対象を変えたところで、憎む行為自体に変化はないし根本的な解決にはならない。
そこを了解して映画を観るとまた違った側面が見えてくると思う。
そしてもうひとつ興味深いのは記憶を失くした男がまとう一種のニヒリズムである。
記憶喪失の男がなかば自暴自棄になってその心を虚無感に支配されている姿は一見冷淡ではあるが、次第に記憶を取り戻し本来の自分に還っていく過程がストーリーの牽引役になって物語にぐいぐいと引き込まれていく。
そのニヒリズムとダンディズムが底で通じ合っているところがこの映画を観ているとより解っていくような気がする。
ダニエル・クレイグの表情が あまり読めない抑えた演技がより主人公の深い苦悩を推し量ることが出来た。
そのほかアメリカでは通説になっていたネイティブアメリカンが入植者の頭の皮を剥ぐという蛮行の原因が白人から先に始められた事であることをさりげなく演出で見せていたりするところはポリティカルコレクトな配慮が感じられた。
また、登場人物が死んでも火によって再生するくだりはネイティブアメリカンの伝承であるフェニックスの伝説になぞらえたものであり、細 部の考証も結構練られているように思った。
さすがはハリウッド映画。
そういうところへの配慮は遺漏が無い。
(青森 学)