仕掛け時計に始まり、落とし穴、催眠渦巻き、標識に頭をぶつけたりロープで逆さ吊りにされたり。冒頭からラストまで、そんなベタなギャグのオンパレード。オチがミエミエのネタでも何度も繰り返され、パワフルな連打は止まらない。(40点)
朝寝坊の少年をたたき起こす仕掛け時計に始まり、落とし穴、催眠渦巻き、標識に頭をぶつけたりロープで逆さ吊りにされたり、天井までの放尿や壁を壊す頭突き、果ては空から屋根を突き破って男が降ってくる。田舎の少年が都会で嫁探しをする物語の冒頭からラストまで、そんなベタなギャグのオンパレード。オチがミエミエのネタでも何度も繰り返され、パワフルな連打は止まらない。しかし、悲しいかなそのセンスは20年前のコントを見ているようで、完全にスベっている。母国セルビアではウケるのかもしれないが、試写室から一切笑い声が漏れなかったところを見ると、このテイストは日本人には合わなかったようだ。
過疎地で祖父と暮らすツァーネは牛を売ったカネで妻を買って来いと祖父に言いつけられ、街に出る。早速ヤスナという女学生を見初めるが、牛を強盗に奪われてしまい、祖父同士が友人だった凸凹ハゲ兄弟に救いを求める。
語られるストーリーは何らかの寓意を孕んでいるのだろうか。農村の純朴な人々と、少し油断すると身包みはがれるような都市の恐ろしさ。一目惚れした彼女に何度も懲りずにプロポーズする愛の一念。困っていてもきっと誰かが助けてくれる人間の情。そして、他人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られこそしないが、落とし穴が待っている。カメラは常に小市民の立場で、権力を振りかざす役人や経済行為を追及するマフィアを徹底的に揶揄する。そのあたりエミール・クストリッツァ監督は、民族間の対立で戦乱に明け暮れたセルビアでも、今や庶民が普通の暮らしが送れるほどに復興したと世界に示したかったのだろう。
ツァーネはヤスナを奪いに来たマフィアのボスを逆に拉致し去勢する。映画の前半にも催眠渦巻きを使って眠らせた牛を去勢するシーンがあったが、これらは何を意味しているのかさっぱり分らない。さらにこの作品がコメディであることを強調するような音楽も始終響き渡ると耳障りなだけ。「HAPPY END」といいながら、ハッピーなのは登場人物だけで、見ている者はその感情を共有することはできなかった。
(福本次郎)