◆ショーン・ペン監督の鮮烈な“オフ”ロードムービー(80点)
エミール・ハーシュが「童顔のウルバリン」といった風貌で登場するオープニングを見た時には正直言って失笑を漏らしてしまったのだが、物語が進むうちに「この男はそうバカにしたもんじゃないぞ」と思えてきた。つまりはこの映画自体もだ。
ハーシュが演じるクリスは裕福な家庭で育った成績優秀な青年。ところが大学を卒業すると、約束された将来に背を向け、中古のダットサンで旅に出る。……というあらすじだけ紹介すれば、恵まれたボンボンのモラトリアム話にも思えるのだが、彼の場合は社会への背の向け方が半端ではない。身分証明書を処分し、貯金を寄付し、車も名前も捨てた末に、アラスカの原野で狩猟生活に入るのだ。
アラスカでの暮らしと並行して描かれるのが、そこに至るまでの旅の軌跡だ。物質文明を拒否するクリスは、荒野のような土地を転々としながら、アラスカ行きの資金を稼いだり、銃の腕を磨いたりする。面白いのは彼の立ち寄り先の中にロサンゼルスのダウンタウンが含まれていること。「いいとこのお坊ちゃん」だった彼にとって、LAのダウンタウンは荒野にも等しい場所だったのか。まあ、ある意味納得できなくもないが。
様々な土地を巡る主人公が、様々な人々との触れ合いを重ねていく筋立てはロードムービーの定番(いや、彼が巡るのは荒野だから“オフ”ロードムービーと呼ぶべきか)。老若男女の別はあっても、クリスが袖すり合うのは心に大きな喪失感を抱えた者ばかりだ。クリスの心にもそれと「交感」する空洞が開いていることは、いずれ明らかになってくる。
実はクリスには同名のモデルがいる。脚本・監督・製作のショーン・ペンは、実在のクリスについて書かれたノンフィクションに魅了され、10年がかりで映画化権を取ったという。時間軸を前後させながらの巧みなストーリーテリングにも感心したが、何より「甘えたガキの逃避行」に陥りかねない題材を、鮮烈な成長物語に仕立てた手腕は見事。主演のハーシュも驚くばかりの減量をこなすなどしてそれに応えた。
「生きる意味がわからない」なんて愚かな理由で命を絶つ者が後を絶たない昨今だが、クリスはそれを見出すために荒野に入った。この点で同じ社会からの逃避でありながらも、両者の方向性はまったく違う。それだけに物質文明に背を向けて自然の懐に飛びこんだ主人公が、その自然から背を向けられる結末は胸に迫る。彼が手記の最後に記した感慨が、そしてそこに署名した名前が、自身の人生の肯定であるのか否定であるのかをとくと考えたい。
(町田敦夫)