◆タランティーノが歴史を変えた!(90点)
クエンティン・タランティーノは、この作品で映画の定石をいくつ破っただろう? ナチス占領下のフランスを舞台に、2つのヒトラー暗殺作戦を同時進行させるという筋立てからして破格。魅力的なキャラクターを次から次へと登場させては、華麗なる死と暴力の激発の中で、惜しげもなく退場させていくのもぜいたくだ。観客は予想を裏切られ、大いに驚愕することになるが、それでいてストーリーの緊迫感やパワーが落ちることはない。おまけにタラちゃん、するに事欠いて、しまいには“歴史”まで変えてしまった。ブライアン・シンガーとトム・クルーズのコンビでも越えられなかった史実という名の厚い壁を、これほどあっさりぶち壊してしまうとは、タラちゃん、やはりあんたはただ者ではない。
この作品、タイトルこそ『イングロリアス・バスターズ』だが、ナチス抹殺を任務とする同名の部隊の活躍シーンはわずかなもの。メンバーのキャラも地味だし、そもそもリーダーのブラッド・ピットの見せ場からして、そう多くはない。ピットをスーパーヒーローに仕立てあげれば、それだけ観客動員も増えただろうに、このあたりも天の邪鬼なタランティーノの面目躍如たるところか。だが、2時間32分に及ぶ長尺のドラマを見ているうちに、私たちは次第に気づいてくる。主要な登場人物の全員が、実はイングロリアス・バスターズ(名誉なき野郎ども)なのではないかと。
そんなバスターズの一員としてまばゆい輝きを放っているのが、メラニー・ロラン(ナチスに復讐を誓うユダヤ人女性)、クリストフ・ヴァルツ(「ユダヤ・ハンター」の異名を取るナチスの将校)といった日本ではあまり知られていないヨーロッパの役者たちだ。とりわけ冗舌で狡猾、慇懃で冷酷なナチスの将校を、時に悪ノリも交えながら奔放に演じたヴァルツの芸達者ぶりには舌を巻く。悪役が魅力的な映画は面白いとよく言われるが、本作もまた然り。ドイツ生まれのダイアン・クルーガーも、敵か味方か判然としないドイツ人女優の役を好演した。
タランティーノがプロットを組み立てる上での大きな武器にしたのが言語だ。アメリカ人監督が作るアメリカ映画なのだから、登場人物の国籍にかかわらず全編英語のセリフにするという選択もあるわけだが(アメリカ人は字幕付きの映画をひどく嫌う)、タラはここでも定石を破り、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語が乱れ飛ぶ複雑な一作に仕立てた。そのことによって、ある登場人物が何語をしゃべるかが、時には状況や心理を説明する道具となり、サスペンスを盛り上げる手段となり、笑いを取るネタともなっている。ドイツ人に化けたイギリス人将校が、ドイツ語の訛りから正体を見破られそうになる一幕などは、ヒリヒリするような緊張感が漂う本作きっての名シーンだった。
ちなみに、ダイアン・クルーガーがいみじくもブラッド・ピットに言い放つ「だいたいアメリカ人は外国語が話せるの?」という辛辣なセリフは、タランティーノにとっては自虐的なギャグであり、クルーガーにとっては日頃の本音をのぞかせたひと言であったかもしれない。ベテラン翻訳者の松浦美奈さんは、数か国語が飛び交うこの難物にも巧みに字幕を付けておられたが、この作品、日本語吹替版にはおよそなじまないタイプの作品ではある。
近年の戦争映画は、人道主義に基づく反戦映画として作られるケースが大半になっている。ところが変人タランティーノは、そんな世間の風潮など、どこ吹く風だ。といって往年の戦争映画のように兵士を愛国的な英雄にするでもなく、戦争を称えるべき功績として描くでもない。要するに彼は、どちらの「権威」にもアッカンベーをしているんですね。「俺は面白い映画を作ってるだけだよ、戦争は単なる素材だよ」と。その開き直りがあるからこそ、“名誉”なんてお荷物にとらわれずに、しびれるほどにカッコいい“名誉なき野郎ども”を縦横に躍動させることができるのだ。今年のお正月映画きってのこの快作、何をおいても観るべし!
(町田敦夫)