◆鬼才ティム・バートンにしてはあまりに凡作。それでもこってりと濃厚な映像美は楽しめる。(60点)
19歳のアリスは退屈な園遊会を抜け出し白うさぎの後を追って穴に落ちる。そこは不思議なアンダーランドで、住民たちは皆アリスのことを知っていた。アリスこそ残忍な赤の女王の支配に終止符を打つ伝説の戦士だと言うのだが…。
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」が「マトリックス」をはじめ多くの映画にインスピレーションを与えたことは知られている。パラレルワールド、救世主としての覚醒、運命の選択などのプロットは、すべてアリスがベースだ。本作はそんなアリスのその後を描くオリジナルストーリー。消えるチェシャ猫や狂った帽子屋マッドハッター、三月うさぎに賢者の芋虫らが入り乱れる奇天烈な世界を、ティム・バートンが3Dで映像化する企画は、一見パーフェクトに思える。だが、蓋を開けてみれば、映像はにぎやかだが、物語にバートンらしさはほとんど感じられなかった。
ティム・バートンらしさ。それは、弱者や異形のものへのいたわりの眼差しだ。ハサミ手の人造人間やハロウィン・タウンの住人、はたまた残虐な理髪師まで、マイノリティに対する優しさが、悲哀と感動を生んできた。それなのに本作ときたら、どこにでもある勧懲ストーリーではないか。冒険心を忘れたアリスは、アンダーランドを再訪し、自分とは何者かという壮大な問いに向き合いながら自らの意志で戦う大人へと成長する。目的は、邪悪な赤の女王を倒し、善良な白の女王が統治する平和な国を取り戻すことだが、ここでは初めから善と悪が決めつけられている。アンダー(地下)にワンダー(驚き)などない。見た目はシュールだが、そこは毒気の抜けた予定調和の世界なのだ。
もちろん見所はある。人気・実力共にトップスターのジョニー・デップが、グロテスクな風貌で奔放に活躍する様はまさに非日常。エンタテインメントとしては平均以上だ。ビジュアルのこだわりもハンパではない。お茶会の様子は、食器やケーキなど細部まで執拗なほどに作り込まれていて、もっとじっくり見せて!と言いたくなるほどだ。地上と地下、縮小化と巨大化、赤の恐怖と白の慈愛。万人に理解できる対立の構図もメリハリが効いて見事である。だがここが急所だ。3D映画では情報量が膨大なため、物語はシンプルなものが求められる。だとすれば、3Dという最新ツールが、バートンの才能の飛翔を妨げてしまったのではないか。結果、器は豪華だが盛られた料理は冷凍食品のような有様になった。そもそも世界は善悪で単純に二分化などできない。それなのに、アリスは地下世界で何の疑いもなく勧善懲悪をキメて地上に戻っていく。
アリスが倒すジャバウォッキーは「鏡の国のアリス」のナンセンス詩に登場する異形のモンスターだ。前衛的な作風で知られるチェコの映像作家ヤン・シュヴァンクマイエルも、かつて短編映画「ジャバウォッキー」で描いている。作り手自身が個性を見失ったこの作品、ティム・バートンに思い入れのない人にとっては、少女が成長し自立する冒険ファンタジーとして、十分な出来栄えだろう。だが、バートンのディープなファンはきっと嘆くに違いない。本来の彼ならばジャバウォッキーへの愛を忘れたりしないはずなのに…と。大人になるということは、現実を受け入れて折り合いをつけていくことでもある。バートンはこの3D大作で、映像の自由を得た代償に、ありきたりな物語に甘んじた。そう思って、この映画にパラドックスを見るしかない。
(渡まち子)