◆大いなる自然の前で人間とはなんとちっぽけで卑小な存在なのかということも思い知らされる(70点)
大自然の脅威と極限状況下のクライマーたちの姿を描く本格的な山岳映画だ。ベルリン五輪直前の1936年。ナチス政権は国家の威信を世界に示すため前人未到のアルプスの難所アイガー北壁のドイツ人初登頂を切望する。若き登山家のトニーとアンディは一流の登山家でさえ死に追いやる北壁への挑戦を決意。2人の幼馴染であるルイーゼは、新聞社の一員として彼らを取材することになる。トニーとアンディは他国の登山家と競いながら初登頂に挑むが、落石による負傷や悪天候から、想像を絶する状況へと追い込まれていく…。
ドイツ映画界には昔から山岳映画の伝統がある。レニ・リーフェンシュタールの「青の光」やベルナー・ヘルツォークの「彼方へ」などがその代表だ。険しく神々しい山に挑む人間というテーマは、ドイツ的ロマンティシズムの発露で、山の崇高な高みは世俗とは無縁の聖地でもある。さらに歴史には、ナチズムによる支配領域への渇望や民族の優位を示す思惑もあった。実話に基づく本作にはそれらすべてが事実として注入されていて、そこに人間ドラマをからめることで感動的な内容になっている。ヨーロッパ・アルプスの難所で、厳しくも壮麗なアイガーの映像が何よりも素晴らしい。だがその大いなる自然の前で人間とはなんとちっぽけで卑小な存在なのかということも思い知らされる。この時代、文字通り命懸けで山に登る登山家を、上流階級の人々が麓の優雅なホテルから見物する習慣があったことに驚いた。初登頂というスクープを狙う新聞記者が「栄光か悲劇でなくては記事にならない」と言い切る言葉には、安全な場所から物事を見る人間の傲慢さが感じられる。ルイーゼはそんな割り切った気持ちにはなれず、窮地に陥ったトニーとアンディのため、ついに山岳ガイドらと共に自ら救援に向かうが、その先には過酷な運命が待ち受けていた。
あまりに壮絶な彼らのチャレンジはアルプス登攀(とうはん)史上最大の悲劇として歴史に刻まれている。純粋に山に挑むクライマーの情熱がナチス政権に利用されたことは、残念でならない。だが多くの悲劇を生みだしてなお、人間のエゴイズムやヒロイズムなど無関係に、ただそこにある名峰アイガーが、ますます崇高なものに見えてくるのだ。
(渡まち子)