ユダヤ人がヒトラーを殴り倒し、演技指導と称して犬の真似をさせたりと、徹底的にヒトラーと側近のナチス幹部たちを愚弄する。しかしここまでおふざけが過ぎると悪趣味。逆に強制収容所の悪夢がリアリティを持って迫ってくる。(40点)
ユダヤ人がヒトラーを殴り倒し、演技指導と称して犬の真似をさせ、さらには国民を鼓舞するための演説を口パクで演じさせたりと、徹底的にヒトラーと側近のナチス指導者たちを愚弄する。もちろん現在ではホロコーストの責任者として、「絶対的な悪」に定義されているからこそどんなにおちょくっても自由なのだろうが、ここまでおふざけが過ぎると悪趣味。ユダヤ人俳優の幻想といいたいのかもしれないが、逆に強制収容所の悪夢がリアリティを持って迫ってくる。物語の深刻な背景に笑うに笑えず、置いてきぼりを食ったような気分になる。
第二次大戦末期、宣伝相ゲッペルスは敗色濃厚のドイツを立て直すためにヒトラーの新年演説を計画するが、ヒトラーは情緒不安定気味。そこでユダヤ人俳優・グリュンバウムを強制収容所から連れ出して演技指導に当たらせる。グリュンバウムの見たヒトラーは自信を喪失しもはや指導者としての威厳をまったく失っていた。
力強さは影を潜め、ただ気難しい初老の男にしか見えないヒトラー。誇大妄想と孤独に苛まれ夜毎に悪夢にうなされている。そしてDVのトラウマと自分にもユダヤ人の血が混じっていることまでグリュンバウムに告白する。そんなヒトラーのナマの姿を知ったグリュンバウムが偉大な総統を演出する。その壮大な皮肉が映画のテーマなのだが、シュールすぎて楽しめなかった。
演説当日、グリュンバウムは声の出なくなったヒトラーになり切ろうとする。爆撃で廃墟と化したベルリンは映画セットの張りぼてで飾られ、動員された群衆はいかにもサクラっぽい。すべては「真実すぎる真実」という虚構、そんなことは分っているのだからわざわざグリュンバウムが強調する必要はなかった。エンドロールで現代のドイツ国民がヒトラーをけなすが、このあたりも作り手の作為がミエミエで、かえって馬鹿にされているよな不快感を覚えた。
(福本次郎)