◆ドイツ映画界の地雷を踏むシニカルな人間喜劇(70点)
日本にはコメディのウケにくい土壌があるだけに、本作の配給元が人間ドラマを前面に打ち出した宣伝戦略を採るのは致し方のないことだとは思う。とはいうものの、そのためにコメディファンが本作を見逃すようなことがあるならあまりにも惜しい。そう、本作はコメディ、それも上質のコメディだ。
ナチスドイツの敗色が濃厚となってヒトラーは鬱状態。そんな総統に国民の士気を鼓舞するような大演説をさせたい側近は、強制収容所からユダヤ人演劇教師のグリュンバウムを召喚し、ヒトラーへの演技指導を命じる……。
なんとも人を食ったこの筋立てに、脚本・監督のダニー・レヴィは大小のギャグをたっぷりと詰めこんだ。のっけからナチスの官僚主義・形式主義を茶化した小ネタの連発。ユダヤ人の主人公が「依頼を断れば殺され、従えばナチスを利する」というジレンマに直面するのは『ヒトラーの贋札』(07)と同様だが、こちらのグリュンバウム先生はジャージ姿のヒトラーに腕立て伏せをさせたり、メソッド演技よろしく犬の真似をさせたりとやりたい放題。ついには独裁者に対してあんなことまでも……。
ナチスとユダヤ人の関係をコメディに仕立てるとはずいぶんと思い切ったことをしたものだが、それもダニー・レヴィ自身がユダヤ人だからこそできたこと。さらに言うなら彼が中立国のスイスで、しかも戦後になってから生まれた人間であることも、このブラックな傑作を生み出せた主因の1つであるに違いない。自身や親兄弟が直接強制収容を体験した者なら、あるいは逆に米国のような遠隔地にいたユダヤ人なら、同胞の悲劇に対するこの絶妙な「距離感」はおそらく取れなかったはずだ。
「独裁者いじり」を続けるグリュンバウムだが、相手の機嫌を損ねればたちまち処刑されるという彼の境遇は、観る者の心に通奏低音のように重くのしかかる。主人公がヒトラー暗殺の好機を次々と逃すのは、笑いを取るためばかりではなく、「私は人殺しなどしない」というダニー・レヴィの矜持の表れ。チャップリンの『独裁者』を思わせる終幕の急転も胸に迫る。その意味で、本作を人間ドラマとする見方も決して間違ってはいない。主演のウルヒッヒ・ミューエは昨年急逝したため、惜しくもこれが遺作となった。
エンディングのタイトルバックがまた考えさせられる。ドイツの一般国民にヒトラーについてインタビューしているのだが、年配者の多くは言葉を濁し、子供たちは「(ヒトラーが誰かを)知らない」と答えるのだ。「おいおいドイツ人よ、大丈夫か?」と思わず尋ねたくなったが、すぐに思い直した。戦争の記憶を風化させているのは彼らだけではないのだから。
(町田敦夫)