暴君のように見えてその大きな志はたくさんの人を魅了し、人望はなくとも人気はある。そんな豪放磊落な主人公を、竹中直人がいつものようなくどさで演じる。それは彼の妻を演じる吉永小百合の潔癖なまでの清楚さと対称的だ。(40点)
白い杖を振り回し、見えなくなった目ではなく心臓の目で人間の本質を見極める能力を持つワンマン経営者。鉄道会社経営のかたわら郷土史家としても第一人者の権威になっている。一見、暴君のように見えて大きな志はたくさんの人を魅了し、人望はなくとも人気はある。そんな豪放磊落な主人公を、竹中直人がいつものようなこってりとしたくどさで演じる。それは相手役の吉永小百合の潔癖なまでの清楚さと対称をなし、物語からリアリティを奪っている上、奔放な夫に献身的に寄り添う妻という構図は余りにも古臭い。
ラジオの番組で島原鉄道の社長・宮崎に気に入られた和子は、強引にバスガイド教育係に抜擢される。しかし、集中豪雨の被害と放漫経営で宮崎は解任されるが、和子は盲目の宮崎と彼の子どもを世話する決心をする。
宮崎の古典へのアプローチ法は音読。和子に朗読させた「魏志倭人伝」を録音し、暗記するまで何度も聞く。出てくる国名を現代の地名に置き換え、実際にその地を訪れる。ふたりで巡り歩いた小高い丘が実は古墳だったり、思わぬところから土器が出土したりと、徐々に研究の成果があらわれる。また、和子が作った立体地図を宮崎は指でなぞり、ひとつずつピンを刺していくことで邪馬台国があった場所を推測していく。その過程は和子の宮崎に対する濃やかな愛の表現なのだが、何ゆえ和子はこれほどまでに宮崎に魅かれたのか。彼女自身が邪馬台国の魅力に憑り付かれたのでなければ、こんな夫婦関係は成り立たないだろう。そのあたりの和子の卑弥呼への憧れをもう少し描いて欲しかった。
やがて、宮崎のライフワークは和子の手によってまとめられ出版、大きな話題となる。その後も探求は留まらず、宮崎はついに卑弥呼の墓を発見したと思い込む。だが、なぜ今邪馬台国なのか。夫婦の愛の一代記というには一方的に過ぎ、邪馬台国ミステリーにしては中途半端。どうせなら、和子の目から見た「邪馬台国探しに半生をかけた男の生き様」にするくらいの脚色があってもよかったはず。吉永小百合の若作りだけが目立つ作品だった。
(福本次郎)