◆両親の愛を知らない少年が裕福な家庭に引き取られ、才能を開花させていく。恵まれない子供に手を差し伸べ自立させるのは、決して気まぐれな自己満足でできるものではなく、その子の人生に全責任を負う覚悟を伴う行為なのだ。(60点)
父に捨てられ、母とも引き離された孤独な少年はたぐいまれなる運動能力を持ち合わせている。そんな彼が裕福な家庭に引き取られ、アメフトで才能を開花させていく。映画はNFLからドラフト1位で指名されるまでになった主人公の、篤志家との出会いから大学入学までの2年間の交流を通じ、米国に根付く善意と良心の懐深さを描く。恵まれない子供に手を差し伸べ自立させるのは、決して気まぐれな自己満足でできるものではなく、その子の人生に全責任を負うという崇高な覚悟を伴う行為なのだ。
レストランチェーン経営者の妻リー・アンは、寒空の下を歩くマイケルに声をかけ家に泊める。口数は少ないが礼儀正しいマイケルにリーの家族も警戒心を解き、彼を迎え入れる。ある日、マイケルをフットボール部の練習に参加させると、圧倒的なパワーとスピードで相手を蹴散らしてしまう。
複雑なルールを理解していないマイケルは、彼の特質である「保護本能」を刺激する言葉をリーにかけられて、見違えるような動きになる。まるで猛獣と猛獣使いの美女といった構図は非常に映画的な絵になっていた。一度ツボを押さえたマイケルは、水を得た魚のごとくチーム勝利に導いていく。同時に家庭教師をつけて勉学にも励み、有名大学がスカウトの列を作るまでになる。あまりにも劇的な運命の転調にもマイケルは問題を起こすことなく身を任せ、リーの夫や子供たちも彼をファミリーに加えていく。そのあたりの葛藤を抑え気味にし、マイケルと彼を“発見”し育てたリーのサクセスストーリーだけにスポットを当てることで、とてもさわやかな印象を残す。
ただ、マイケルが暮らしていたのはジャンキーとギャングが屯する黒人貧困地区。劣悪な環境で、両親の愛も知らずまともな教育も受けなかったのに、どうしてマイケルは犯罪に手を染めず暴力にも走らず、他者に対する優しさと感謝の気持ちを身に付けただろうか。確かにマイケルにチャンスを与えたのはリー・アン一家だが、マナーと謙虚さを教えた良識ある大人がいたからこそマイケルは裕福な白人社会から拒絶されなかったのだ。空白部分を埋めるカギはマイケルを高校に入れた自動車修理工のオッサンにあるが、もう少し彼らとの関係を語ってほしかった。
(福本次郎)