◆掟やぶりの変形タイムトラベルSF(70点)
この映画はひとりのタイムトラベラーを主人公にしている。が、だからといって正統派のSF映画を期待して劇場に出向くと、冒頭から客席でのけぞることになる。過去に戻った主人公が、あろうことか少年時代の自分とあっさりコンタクトしちゃうからだ。幾多のタイムトラベルSFが絶対のタブーとしてきたその行為を、彼はいとも簡単に犯してしまう……。
それもそのはず、原作となった同名小説はSFではなくラブストーリーなのだという。もしかすると作者のオードリー・ニッフェネガーは、定番のタイムトラベルSFをまったく読むことなく同書を書いたのかもしれない。おかげでこの映画も、正統派のSF物とはちょっと感覚のずれた、一種独特の見どころを持つものとなった。
たとえば通常のタイムトラベルSFでは、すべての事情を知る主人公が「神の立場」に立つのが普通だ。そして「歴史を改変してはならない」という縛りの中で、自らの金銭欲と闘ったり、愛する者の死を防ごうか防ぐまいかと悩んだりする。ところが本作の主人公ヘンリー(エリック・バナ)は、そんな縛りなどお構いなしに、ズルしてロトを当てちゃったりするんですね。その後にどれほどのバタフライ・エフェクトが生じることやら。
さらに面白いのは、ヘンリーがちっとも「神の立場」に立っていないこと。『きみがぼくを見つけた日』という邦題は象徴的だ。というのも、ヘンリーがヒロインのクレア(レイチェル・マクアダムス)と初めて出会うとき、クレアの方はすでに彼を知っていた。未来から来た「もっと年上のヘンリー」と少女時代からたびたび出会い、彼に恋をしていたからだ。同時代を生きるヘンリーは、初対面なのになぜかヤル気満々の美女に「見つけられ」、大いにとまどうことになる。
自分と同じ特異体質の子供を作るまいと、ヘンリーがパイプカットするシチュエーションも興味深い。子供の欲しいクレアは一計を案じ、過去から来た「もっと年下のヘンリー」と寝て、まんまと妊娠してしまう。「過去の自分」に間男されちゃったヘンリーは形なしだ。これではとても「神の立場」の主人公とは思えない……と書きかけて、ふと気がついた。この映画(と原作小説)の原題が『 The Time Traveler’s Wife 』(タイムトラベラーの妻)だったことに。なるほど、少なくとも原作が書かれた時点では、この物語の主人公はクレアの方だったのだ。
まあ、いくら変形のSFだとはいっても、ヘンリーのタイムトラベル体質を遺伝子レベルの異常で説明していたのは苦しすぎるだろう。とはいえ幸せな夫婦生活から、死の影がのしかかる終盤に向けての変調は切ない。『ゴースト/ニューヨークの幻』の脚本家として知られるブルース・ジョエル・ルービンは、今作でも「自分の死後を見る男」の複雑な心境を描いた。ラブストーリーとしてもSFとしても変わり種のこの作品、一見の価値ありだ。
(町田敦夫)