おとうと - 山口拓朗

◆家族の絆が薄れつつあるこの時代に、改めて家族のあり方を見つめさせてくれる"人間讃歌"の秀作(80点)

 日本映画界を代表する巨匠、山田洋次監督が「十五才 学校IV」(2000年)以来、10年ぶりに撮影した現代劇「おとうと」は、そのキャリアにおいて常に日本の家族と、その精神性を描き続けてきた山田監督の集大成的な1本。涙あり笑いありの感動作だ。

 薬局を経営する未亡人の姉・吟子(吉永小百合)には、役者として大成しないまま大阪でぶらぶら暮らす鉄郎(笑福亭鶴瓶)という弟がいた。吟子の一人娘・小春(蒼井優)の結婚式当日に、それまで音信不通だった鉄郎が突然姿を現した。以前、吟子の夫の十三回忌で酔っぱらって大暴れした前科がある鉄郎は、お酒を飲まない約束をするが、その約束をあっさり反古にしたうえ、またしても酔っぱらって大暴れ。披露宴を台なしにしてしまう。鉄郎は身内から総スカンを食うが、吟子だけは、そんな鉄郎をかばうのだった……。

 世の中には、他人に迷惑をかけっ放しの人生を送る人がいる。彼らは自分が意識するしないにかかわらず、他人(とくに身内)の人生を翻弄する。この映画に登場する鉄郎もそんな一人だ。夢だけは偉そうに語るが、お金にだらしなく、酒癖が悪く、口も悪い。しかも、冠婚葬祭という大事なときに限って必ず(最悪の)伝説を残すイベント・デストロイヤーだ。

 おめでたい披露宴は、新郎新婦を差し置いて、酔っ払いオヤジ・鉄郎のオンステージと化す。山田監督は、鉄郎の醜態を"これでもか"とばかりに見せて、スクリーンを鉄郎のダメっぷりで浸す。鉄郎のだらしなさが、生まれつきなのか、環境によるものなのか、心の弱さに起因するものなのか、そのあたりははっきりしない。いずれにしても、そんな鉄郎に容易に感情移入できてしまう人は、鉄郎のふるまいが我が身とダブらないか、自分に疑いをかけたほうがいいかもしれない。

 披露宴シーンにおける鶴瓶の演技がじつに痛快だ。芸の道を究めた鶴塀ならではの面目躍如とでもいおうか。ここでの鶴瓶の「酔い芸」、すなわち「暴走する鉄郎」は、ある意味、ひとつのアイコンとして認識される可能性すらある。たとえば飲み会のたびに泥酔&凶暴化する友人に対して「おまえは鉄郎か!」という突っ込みが可能になるかもしれない。恋に純情な男に対して「おまえは寅さんか!」という突っ込みが可能なように。それほどインパクトのあるキャラクターである。

 一方で、そんな弟を見守る姉・吟子は女神のような存在だ。周りがいくら鉄郎を煙たがろうとも、吟子だけは彼をかばう。借金さえ肩代わりする。一度は絶縁状を突きつけるも、心では鉄郎の身を案じ続けている。「吟子は鉄郎を甘やかしすぎでは?」という意見の人もいるだろうが、おそらく吟子にとって鉄郎は、出来の悪い息子のようなものなのだろう。血のつながりとはなんと「やっかい」であり、そしてまた「尊い」のだろう。

 シリアスさとユーモア。その両者をバランスよく盛り込んださじ加減が絶妙だ。もちろん、ユーモアは単なる「おふざけ」ではなく、一所懸命に生きる人間を描くがゆえにこぼれてくる「おかしさ」である。こうした演出ができるのは、山田監督が心の底から人間を愛しているからだろう。

 失われつつある「家族の絆」を描く一方で、末期患者を看取る「ホスピス」の実状を描くなど、現代社会への提起となる問題を盛り込んでいる点にも、山田監督の才腕がうかがえる。破天荒に生きた鉄郎の人生の終末は、不用意に感動を煽る演出ではなく、姉と弟、ふたりのさり気ない会話や表情や仕草を通じて、当事者にしか分からない心の結びつきを表すことに成功している。

 本作「おとうと」は、家族の絆が薄れつつあるこの時代に、改めて家族のあり方を見つめさせてくれる"人間讃歌"の秀作だ。鶴瓶と吉永小百合がそれぞれ「らしさ」のある演技を披露するほか、脇を固める蒼井優や加瀬亮ら実力派俳優の安定した演技も、心あたたまる人間ドラマに厚みを加えている。家族そろっての鑑賞をオススメしたい。

山口拓朗

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